夏休み特別企画
トキの歴史

 

奈良時代にトキが初登場!
・はじめてトキの名前が歴史上に現れるのは奈良時代のことで、日本書紀に桃花鳥として登場し、「ツキ」、「トキトリ」と読みがふられていました。平安時代には、鴇の字が現れ「ツキ」、「タウ」と読まれていました。また中国名の紅鶴という呼び名も伝わってきました。 ・平安時代には、刀の柄の飾りとして、鎌倉時代には、弓の矢羽に使われていました。また当時の食料の記録にもトキの名前が出て行きます。

全国からトキの記録が集まる
・八代将軍吉宗の時代に各地の大名から集められた産物帳の記録から、トキが全国に広く分布していたことが分かります。
・トキは各藩の大名にも好まれ、茶道で使う羽箒や釣りの毛針として利用されたほか、加賀(石川県)や阿波(徳島県)、淡路(兵庫県)、安芸(広島県)の大名がトキをつかまえて領地へ放したという記録もあります。
・狩猟は限られた人数の大名たちの特権であったため、結果的に狩り場は鳥や獣の保護区となっていました。

国際命名規約にもとづく学名がつけられる
・出島のオランダ商館の医者だったシーボルトが、日本産のトキの剥製をライデン博物館に送りました。この標本にテミンク館長が Ibis nippon(Temmick,1835)の学名を付け、 種として認定されました(後に属名が変更され Nipponia nippon となりました)。
銃猟による捕獲と絶滅
・明治時代に入り狩猟が庶民に解禁されると、狩猟人口が増えるのと引き換えにトキの数は減少しました。大正時代に入っても狩猟は続き、個体数はさらに減少し、一時絶滅したと考えられていました。
トキ再発見と個体数の減少・保護
・1930 年に佐渡島(新潟県)でトキが再発見されました。
・1934 年に天然記念物に指定され、1952 年には、特別天然記念物に格上げされました。
・1960 年には、世界的にも希少な種であることが認知され、国際保護鳥に指定されました。
・1967 年にトキ保護センターが建設され、保護されたトキを飼育しはじめました。

国内での野生絶滅と中国での再発見
・トキは、東アジアに広く分布していましたが、生息環境の湿地の開拓や狩猟により、ロシアや韓国で絶滅、日本でも全個体数が 9 羽に減少したため、1979 年には野生個体を全鳥捕獲し、人工増殖により保護することが決まりました。
・1981 年、佐渡島に残った全個体(オス 1 羽、メス 4 羽)を捕獲し、トキ保護センターで人工飼育されことになったため、この時点で国内での野生のトキはいなくなりました。 世界中のトキが絶滅してしまったのではないかと心配されたこの年、中国の陜西省洋県、トキの営巣が確認され、まだ野生絶滅していないことが分かりました。その後、中国では、残っていた野生のトキの保護と人工増殖による個体数の回復が進み、1989 年に 世界初の人工増殖に成功しました。2012 年には 1,600 羽以上に回復しました。
人工増殖の試みと日本最後の野生トキ「キン」死亡
・国内ペアでの増殖(ぞうしょく)は難しく、中国から借りたトキとの間での増殖を試 みましたが成功しませんでした。2003年、キンと名付けられた国内最後のトキが死亡し、 日本で生まれたトキはいなくなってしました。
人工増殖の成功と野生復帰をめざした放鳥開始
・中国のトキと日本のトキは、遺伝的に同じ種の一つの群れであることが確かめられ、 改めて中国のトキを借りて人工増殖し、野生復帰を目指すことになりました。
・1999 年、中国から譲り受けた飼育下のつがいに初めてヒナが誕生すると、その後順調 に増え、2007 年には約 100 羽になりました。
・2008 年から、野生復帰へ向けての放鳥が始まりました。2008 年に 10 羽、2009 年に 19羽、2010 年に 13 羽、2011 年に 36 羽それぞれ放鳥されました。
・地元では、餌場となる水田に農薬は使わないこと、巣に近づかないことなどのルールを決め、またドジョウなど餌となる生物の豊富な水辺をつくったり、また巣をつくりやすいように樹木を残したり、トキが生活しやすい環境つくりを進めました。
・2010 年、放鳥されたトキが、つがいになり巣をつくり産卵まで進みましたが、天敵のカラスに巣をおそわれたり、無精卵のため孵化しなかったり、成功しませんでした。
・2012 年 5 月、放鳥されたつがいから、次々にヒナが誕生し、3 組のペアから全部で 8 羽のヒナが巣立ちました。野外でヒナが巣立ったのは、実に 38 年ぶりのことです。

提供:環境省 協力:自然環境研究センター