第41回企画展

日本のコウノトリの歴史
 今から約30年前の1971年(昭和46年)5月25日午前8時37分、兵庫県の豊岡市で野犬におそわれ保護された1羽のコウノトリが死んでしまいました。これが日本で野生最後のコウノトリとなってしまいました。野生状態での絶滅です。
今でこそ、大陸のコウノトリが飛来するとニュースになるほど希少な鳥になってしまいましたが、江戸時代には東北地方から九州南部までの各地の里地に生息していました
*1。ドジョウなどの餌が豊富な水田と営巣に適した高木の残る里山にすむ身近な鳥だったのです。この状況は、日本の近代化が進む明治時代まで、大きく変わらなかったようです。我孫子の手賀沼周辺にも、明治初頭、コウノトリが生息していました*2 
 明治以降、人々が利便性と効率を求めたくらしを追求しは始めると、コウノトリと人との関係は大きく変わりました。明治初頭、野生動物の無制限な狩猟が行われた頃、コウノトリもその数を減らしました。
その後、生息地が天然記念物に指定されるなど、保護の手がさしのべられましたが、第二次世界大戦に突入すると、戦地へ材を供給するため、営巣に適した高木の伐採が行われされ、再び個体数は減少しはじめました。
 その後、種指定の天然記念物に指定され、大切に保護されましたが、水田への農薬散布や水路の護岸工事などの影響を受け、田んぼの生き物は減少し、それを餌とするコウノトリの数も減少しました。しかし、コウノトリは吉兆をもたらすと瑞鳥(ずういちょう)として珍重した歴史や、昔から身近な鳥として親しまれていた体験は地域に人たちに受け継がれ、現在では兵庫県豊岡市において、コウノトリの野生復帰計画が多くの人たちの努力に支えられて進んでいます
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*1 諸国産物帳:江戸幕府が全国の諸藩に命じて動植物の資料を提出させ、これらを編集したものです。当時の日本の動植物の分布状況が記録されています。

*2 1887年(明治17年)2月9日、手賀沼産のコウノトリのオスとメスが、山階鳥類研究所に標本として保存されています。同時の採集であり、つがいだったのかも知れません。

*3 昭和30年(1955年)コウノトリの絶滅を危惧した山階鳥類研究所所長の山階芳麿博士の懇願により、当時の兵庫県知事坂本勝氏の発意で、コウノトリ保護協賛会が発足し、官民一体の保護活動が始まりました。保護活動からコウノトリの野生復帰へ具体化する中で、平成6年(1994年)および平成12年(2000年)に行われた「コウノトリ国際かいぎ」の実行委員長を元山階鳥類研究所所長(元我孫子市鳥の博物館名誉館長)の黒田長久博士が努めました。また現在、野生化復帰が成功するまでの手法を検討し、問題点を解決するため設置された「コウノトリ保護・増殖(野生化)対策会議」の委員長を山階鳥類研究所所長(我孫子市鳥の博物館名誉館長)の山岸哲博士が努めています。

1887年(明治17年)2月9日、手賀沼産のコウノトリ(山階鳥類研究所所蔵)の標本は、平成17年7月22日から8月31日まで鳥の博物館で公開する予定です。ご期待ください。

   

鳥の博物館   2005.4